40にして「おじさん」と呼ばせず。

今年ついに私も40歳という大台に乗ってしまいました。 平均寿命からすると、ちょうど人生の折り返し地点といったところでしょうか。

それにしても子どもの頃に抱いていた40歳のイメージは、 もっとどっしりと構えた頼りがいのある大人という感じでしたので、 改めてそのギャップに失望している今日この頃です。

自分ではまだまだ若いと思っていますが、 甥っ子や姪っ子の目には立派な「おじさん」に見えているに違いありません。

それは分かっているのですが、 「おじさん」と呼ばれることにはまだ何となく抵抗があります。

ちなみに会社のスタッフに聞いてみたところ、 甥っ子姪っ子に「おじさん」「おばさん」と呼ばれている人は ただの一人もいませんでした。 一番多かったのは「○○兄ちゃん」とか「○○姉ちゃん」という呼び名です。

これは呼ばれていると言うよりは、 おそらく本人が無理やり呼ばせているのでしょうが、 もしかすると最近では「○○おじさん」や「○○おばさん」という呼び方自体が 減ってきているのかもしれませんね。

私も「おじさん」と呼ばれることにささやかな抵抗はしているものの、 最近、物忘れがひどくなったような気がしています。

先日も何かの拍子で何をしようとしていたのかをすっかり忘れてしまい、 われながら唖然としてしまいました…。

それから、年配の方達の健康談義も今まではなんとなく聞いていましたが、 疲れが抜けにくくなったり、腰痛に見舞われたりするうちに、 「明日はわが身」といった気持ちで真剣に耳を傾けるようになりました。

これからの40年には、思うように体が動かずショックを受けたり、 大切な人との別れを体験したりと、辛いことや悲しいことが これまでより少しだけ増えるような気がします。

しかし、それは人生の先輩方がみんな乗り越えてきたこと。 私も先人に習い、これから訪れるであろうあれやこれやを受け止める力を、 今から培っていかなければと思っているところです。

と同時に、老化にはできる限りの抵抗をしていくつもりです。 子ども達から見れば完全無欠のおっさんである私も、 年長者にはまだまだ青二才の若造に見えているはず。 とすると、若さや老いは相対的なもので、気の持ち方次第とも言えます。

スポーツの世界を見ると、プロ野球の山本昌投手(49歳)や サッカー選手のキング・カズ(47歳)、 イチロー選手(41歳)などはまだまだ現役で活躍しています。

また歴史を紐解けば、織田信長は43歳で安土城を築き始め、 豊臣秀吉は41歳の時に黒田官兵衛を軍師とし姫路城に入城しました。 天下取りへの大きな一歩です。

論語に「四十にして惑わず」という言葉がありますが、 私はこの境地には程遠くあれこれ迷ってばかりです。 次の節目は「五十にして天命を知る」。 あと10年で果たして私は天から与えられた使命に気付くことができるのでしょうか?  と、その前にそもそも私には天から与えられた使命があるのでしょうか?

しかし、何も孔子を目標にする必要もありませんよね。 マラソンでも折り返し地点を過ぎて同じペースで走り続ける人もいれば、 ペースを落としてゆっくりゴールを目指す人もいます。 後半にペースを上げる人もいるのですから、

どのようにギアチェンジするのかは人それぞれ。 私は私に合ったペースでこれからの40年を楽しんでいくことにしようと思います!